綾ちゃんへ〜

ありがとう〜、綾ちゃんには、一番最初に出る言葉は、今まで、ありがとう〜、冴子とは、従兄弟であって、

冴子のことを、子供のころから、キバおねえちゃんって、慕ってくれて、冴子も綾ちゃんが大好きよ。

だって、綾ちゃんしか、言わないもの、キバなんて、失礼なこと、平気で、きゃははははは、子供の頃は、

よく笑ったわ〜ね。ここに、綾ちゃんにも文章を書き込むこと知らなかったでしょう。今頃は、眼を丸く

してるかな〜、今、書きながら思い出している〜わ。夏休みに、塩谷海岸、どっちが長く潜っていられるか

競争したもの〜ね。キバの勝ち〜〜〜、きゃはははは、天狗山も一緒に登山して、途中、競争したものね。

やはり、キバの勝ち、そりゃ、そうよ〜ね。私は、3つも上なんだもの、勝つのあたりまえよ〜ね。

今度も、勝ったわ〜ね。わたしが、先に逝く・・・・(きゃははははは)ゴメン、こんなこと書いて、

でも、大丈夫よ、冴子は、悲しまないで〜、綾ちゃんは、あなた自身のこと、そして、彼のこと、ず〜っと、ず〜っと、

永久に、冴子は祈っています。冴子がいなくなっても、ときたまでいいから、菜ちゃんに顔見せてあげて〜、

菜ちゃんには、何もしなくていい、遠〜くで、見て眺めて、微笑んでくれるだけでいいです。菜ちゃんには、

精神的に、強く生きてほしい〜、そして、父は、もう、年だから、無理なことしたら注意して、怒ってください。

綾ちゃんのことは、聞く見たい〜よ。だって、父は、綾ちゃんの伯父さん、苦手みたいです。(きゃはははは、)

綾ちゃんにも、何か文章を残して置きます。知っていますか、冴子が少女のころ、作家になりたいって、

言ったこと、冴子流に書き込んでいきます。綾ちゃんだったら、きっと、冴子らしい〜と思うでしょう。

「答えを出していない」って、いうでしょう〜。2回、3回、読んでくれれば、答えは出ているんですよ

でも、一般論で書き込んでいきます。だから、誤解しないで〜ね。あくまでも。綾ちゃんがきっと、今考えているのは、

結婚かな〜、女の結婚は幸せに繋がるのかな〜って、考えているんじゃないかしら〜、ご年配の人は、常に言いますね。

「女の幸せは結婚の中にある」、または、理解に富んだ夫と平和で豊かな共同生活を作り上げていく、

これ以外に、女の幸せはないとか、冴子から見れば、時代が違う、今は多様化で、男に頼らなくても生きていける

時代なので、↑の文には、当てはまらないわね。冴子が、まったく逆な言葉を作り上げてみましょうか。

女の幸せは、結婚すると、永遠に 「奴隷の幸せ」 に、過ぎないです、なんて、超過激な文です〜ね。今の時代、

結婚しなくても、女は、自分で自分の幸せを築き上げて行けると思います。また、絶対そうするべきです。例えば、

女も男と同じように、社会のために、働き、また、自分に与えられた才能を伸ばしていく女性は沢山いますよ〜ね。

でも、ここで終わったら冴子らしくないでしょう。どこかのテレビのコメンテータと変わらない〜、冴子は、ややこしく、

深く浸透し、また、哲学的に、突き進むのが冴子の書き方なのは知っているでしょう。(きゃははは、)

うふっふっ、冴子は、幸福とか、幸せほど、あいまいで主観的な言葉ないと思います。まず、最初に「女の幸せ」の

定義はなんなんでしょう。まえもって、決まっていれば簡単なんですよ〜ね。

ここで、冴子が結婚と独身の違いを今、思い浮かぶだけ、書き込んで見ましょうか。

1、結婚生活は、経済的に有利である。(一人口は生活が大変だけど、二人口は生活が楽) 

2、妻を持った男性は、会社などでも信用され、安心して雇用される(現代の経済状況では、ちょっと、合わないかな)

3、男も女も独身者は、結婚している男女よりも、自殺率が高い(これは、もちろん幸せじゃないってことね。)

4、独身者の方が圧倒的に精神異常者が多い、(これは、警察の事件白書で掲載されていることなんです。)

5、既婚者の方が圧倒的に社会生活をスムーズに営んでいる(これは、絶対数が多いって、言われると仕方がない)

6、独身者は、既婚者よりも、一般ではず〜っと、短命である。(なんとなくわかるでしょう。)

冴子が今、思いついた事柄です。いくらいろんなこと並べてみても、結婚の功徳は、いわゆる結婚の幸せという

べきもののには入らないかも知れません。冴子は、↑にあげたことは、不幸に陥らないということを、消極的に

数え上げただけなのです。それじゃ、幸せとは何か、それは、非常に決めにくい事なのです。逆に不幸とは何か

これは、結構わかりやすいですよ〜ね。幸せじゃなく、不幸にならないことが、幸せに繋がるんじゃないかしら〜、

綾ちゃん、綾ちゃん見たく、相思相愛の男女が居て、結婚したとします。二人が結ばれるに至ったのは、二人が

心から愛し合っていたからだと思います。どんな恋愛結婚においても、愛情が二人を結ばせるのです。

でも、動機と理由が同じということは、結婚の場合、二人がその結婚の中に必ずしも同じものを期待しているとは、

限らないのよ、結婚のための動機も理由も、また結婚生活に対する期待も、全部二人にとって、同じものだったとする

その同じものが、5年も、10年も、20年も、30年も、変わらぬものだとすれば、この社会の恋愛結婚には、

離婚という、二文字はないのよ。これが、残念なこと〜ね。そりゃ〜、離婚にもいろいろあります。あくまでも一般論、

夫が男であり、妻が女であるがために、ただそういう根本的な理由のために、新婚の夫婦が家庭の中に、

期待するものは、多少ならず異なっています。もちろん、新婚当時はそんなこと、気づきもしません。

こんなこと事、書くと男の人に怒られるかな〜、でも、冴子は、書き込んでいると、もっと深く追及するのが冴子なのだ、

綾ちゃん、男の方は、男が恋する女を妻としたことのうち、期待し、また、見出すものは、独占欲の満足なのです。

男は、結婚生活の中では、嫉妬と言う、感情が消滅するのです。そして、心理的にまた、生理的に満ち足りた

異性愛を経験するんです。 また、逆のことも書かないと不公平〜ね。女が恋する男と結婚し得るもの、見出すもの

とは、生活の安定感(もう、これで私は大丈夫なんだ) という、安心の感情、もうひとつは、願いが成熟したという

気持ちかな〜、もう少し極端に書くと、男は結婚の中に冒険の完成を見出し、女は安全を求める女の本能の満足を

見出します。女は、冒険を好まず、安全を求める人種なのです。ね〜、この二つの満足は違っているでしょう。

満足の仕方が違っているのは、二人が結婚の中に、無意識のうちに、それぞれが期待していたものが、

違っていたからなのよ。例え話を書き込んで見ようか、結婚している中年の男から独身の中年を見る眼は、

「彼には、公然たる愛情の冒険の可能性が残されていない」と言う風に写ると思います。逆に中年の妻は、

中年の独身女を見ると、未だに生活の安全を見出していない風に写る、  既婚者は、結婚の中に安全な場所

見出し、これを建設したと信じているからなのです。男にとっては、家庭は、冒険やスリルの消滅であり、幾分か

癒しをさそう場所なのです。女にとっては、同じ理由のために、安心と喜びを約束してくれる巣なのです。

そして、結婚すると、妻は堂々と巣ず作りをするんです。巣ず作りのルールを、(勝手な家庭道徳を) 作ります。

そのルールが強硬になれば、なるほど、男は結婚の中に、幻滅と束縛に近いものを感じるのです。ほとんどの

女の方は、この公式を十分知っていないのです。これで、綾ちゃんは、家庭ルール(家庭道徳)を少しは考え

られるようになれるでしょう。綾ちゃんは、きっと、恋愛は、恋愛、結婚は、結婚かな〜、これも、一般論で、冴子は

書きとめてみます。




綾ちゃん、ちょっと、ごめん〜ね。ここに、書かさせて、菜生には、触れさせたくない、文章です。

冴子は、学生時代に、書き込んだ一節です。なぜ今になって、冴子はこんなの載せるのか、

それは、冴子は、メスにもなれない、と今、確実と確認したからなのです。

        「愛と言うもろさ」

女は、愛し始める時、きっと、おずおずしていたでしょう。半信半疑だったでしょう、その半信半疑の愛も、毎日の

愛の証で、溶けて行ったでしょう、女は男の愛を信じるようになって、信じ切ってしまった、そのとき、女は、

もはや、自分をすっかり忘れてしまっているのです。わたしは、今まで前記には、愛の素晴らしさを書いています。

わたし自身、「愛」と言う宗教があるならば、わたしは、愛の帰依者とまで書いて、矛盾だらけです。

なぜ、ここでと思う方もいらしゃるでしょう。そこで、あなたもチョット、眼を傾け、読んでくれればうれしいです。

女は悲しいことに、ここまで男を愛することが出来る、それは、人間としてこの上なく危険なことなんです。

女は、その愛に自分のすべてを賭けるのです、文字通り女の「賭け」なんです。わたしが言うのは、

愛すると言うことは、女にとって、生命をあげての賭けなんです。これは、人間として何という危険なことなんでしょう。

愛がこれほどまでに、賭博性を強めるとき、愛こそ最大の危険が住んでいる世界だと私は今もって思う。

森鴎外の「舞姫」主人公の踊り子、エリスは、その賭けを、賭けとも知らず乗り越えた、そして、その賭けに、

敗れたのです。あらゆる一切のものがあと形もなく、行方不明になり、破壊し、泣き崩れた、そうなった場合、

彼女自身もまた、行方不明になり破壊せずにいられましょうか、発狂せずにはいられましょうか、

この世の愛は、すべて、うろいやすい、つまづきやすい、中断されやすい、こわれやすい、

けれども、この世の愛について、女はこのようなもろさを信じることが出来ないのです。愛がうつろい色あせる、

これは、女にとっては、水が高きに流れる事のように、金輪際、あってはならないことなのです。

女は愛の信者なのです。愛しきった時、女は愛の宗教の帰依者となり、そして、そこから女の悲しみが、

ほとばしりでてくるんです。考えてください〜、この世の人間の愛なぞというものが、どうして、絶望的なもので、

あり得ようか、人間そのものが、男も女も限定され、限りある存在でしかないのに、どうして、そのような人間に、

「絶対」と名付けることのできる愛があるでしょうか、それでも、いままでいくたりも、いくたりも、女は、このような

愛の宗教の帰依者であったのみならず、女はそこに人間として、たったひとつの生き甲斐を見た、

生きる意味を発見した、素晴らしい事だと思います。これは、私は疑いなく、素晴らしい事なのです。けれども、

それは、同時にもっとも、危険こととも言えるのです。危険なことに、危険とは知らずに、その全存在を

賭けるとは、悲ししい事でなくなんなんでしょう〜、女は、悲しい生き物です。        ほ〜んの一部完結




冴子は、未発表の原稿、23歳の春ごろ書きあげた、ほ〜んの一部です。みなさんは、どう、詠まれたでしょう。

特に、男の方、メールでナンパされる方、に読んでもらいたいです。バカタレ男に、