動くかな、菜生ちゃん、ママこんなことも試してみました。喜んでくれるかな〜、菜生、見てる〜〜〜、

ママは、いつもパソコンの中にいるからね。富士通のパソコン、あの中には、ママがいる。

菜生に何か、あったとき、必ずママが、導いてあげる。だって、菜生を産んだのはママよ、菜生がこれを、読んでいるとき、

ママ、想像つく、眼に大粒の涙を一杯ためて、そりゃ〜、かなしい〜〜よね。ママだって、菜生と別れるのは悲しい〜、

でも、これは運命なの、神様は、ママが逝く日、その日は、世の中の誰かを、あの世へ送らなきゃいけないのよ、

ママが行かないと、他の誰かが逝くのです。そうすると、こどもがたくさんいる人が逝ったら、その子供達、困るでしょう。

そして、悲しむ人が、たくさんいるでしょう。ママだと、菜生だけ、一人だけ、我慢すればいいでしょう。

だから、逝った日の順番は、ママになったのよ。わかるわよ〜ね。菜生、そうね〜、こんなこと書いても無理よ〜ね。

菜生になんて、書いたらわかってくれるかしら、ママだって、混乱しているのに、あとで、また、続きます。

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あれから、小樽に戻って、春のさかりの小樽に戻って見ると

運河あたりは観光客の人波ができて、河面を渡る風もさわやかに、すっかり開放的な

明るさがありました。陽気で楽しくするのは、悪いと言う観念に、捉われ・・・・・・

物事の暗い面ばかり見ていました。無気力になったのはそのせいです。昨今の軽薄短少の

トレンドは、はからずも自分の変身の助力となって、大きく自己改革しました。

男性でもなく、女性でもなく、ただの 「良い子」だった事が自分を狂わせていたようです。

自分に関する決断を、いつも他人の判断に任せていたので、あれこれ言われると、

おろおろするばかりでした。 「中性の良い子」 を演じて、仮面の下の本心が苦しんでいました。

放浪の永い道ほどで、自分の素顔を発見したのです。今、 「良い子」 の面をはずして、

素直に生きる自信がつきました。自己を確立して内面のすっかり変わった自分を、

目の隅にでも捕らえてくだされば幸いです。

まだ、思いついたことは、続きます。         

ここを、気づいてくれた人たちに、

菜ちゃん、また、ママは書き込んでいます。ママが書き込んだものはたくさんあると思うけど、それぞれは、レポート用紙に

いろんなこと、書き込んであると思います。菜ちゃんが、理解出来るときに読んでね。

この欄は、ここを気づいてくれた人たちに、せめてもこんな人が居たことを、・・・私が、今思ったことを書き込んでいます。

菜生の為になるか、比かは、わからないけど、命あるかぎり、書き込む時間がある限り、許される限り、書き込みます。

だから、ここは、一般論で、書いていきます〜、まず、始めに人生とはなんなんでしょう。 なぜ、この世に産み落とされ

あくせく働いて、人によっては、100年も生き、人によっては、1年足らずで去り、  このような根本的なことに、

私は、考えてみた、でも、今は正直、このような問いに答えられる術はしらないです。思うか゛ままに、書き込んで見ます。

私には皆目わからない。実際、「なぜこの世に生まれたのか」という、問いに、産み落とされた、私自身が、

どうして、答えることが出来るのでしょうか。 なぜ私のような人間をあなたがたは産んでくれたのでしょうか。  と、

両親に聞いたところで、両親にしたって答えようがないと思います。 それどころか、両親自身も、これと同じような

問いを、両親の両親に聞いてみたくなるでしょう〜ね。誰しも、なぜ生まれて、なぜいまここに、存在しているのか

という、問いには答えられないと思います。それは、私にとっても、「宗教を信じている人は別として」ほとんど、

すべての人にとっても、合理的に答えることは出来ない問いなのです。それで、なぜ、産み落とされ、なぜ、

生きているのかということは、答えられない〜、だから、あなたがたは、人生なんてつまらないと思うでしょう。

たしかに、そのように思いたくもなります、私自身も度々そのように過去考えたこともありました。

でも、そう思う前にちょっと、読んで欲しい〜、「人生の意味は分からない、だから、生きていてもつまらない」

と、いうのは、理屈を言えば、分からないものについて、何かしら分かったと答えることに他ならないでしょう。

分からないということは、何も分からないことなのです。 けれども、つまらないということは、その分からないものに、

ついて、評価を下すことなのです。明らかにこれは、合理的ではない、まるっきり、分からないものなら、

つまるも、つまらないも、ないでしょう。人生の意味が分からないという場合、私は結論めいたことが二つ、

あると思います。

分からない、だから、つまらない。

わからない、だから、神秘的だ、

神秘的だなんて、私は大げさな言葉を書き込みました。 これは、簡単なことなので゛す。不思議だということ、

なのです。詩人、白秋、の詩を記載します。あなたがたも知っていると思います。

「薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲ク、ナニゴトノ不思議ナケレド」

なにごとの不思議もないが、考えてみれば、やはり不思議だと、白秋は詠ったのです。そして、私も、その通りだと

思います。人生は、よくわからない、分からないということは、神秘だということなのです。私が、このようなこと、

人生を考えるようになったのは、最近です。それほど、以前からではないです。いえ、ここ数か月前の頃です。

私は、「人生は、分からない、だから、つまらない」という、考え方から、「人生は分からない、だから、神秘的だ」 と

いう考えに、やっと、辿りついたような気がします。  この頃は、ますますそんな風な思いに満たされます。

それは、なぜ、私は癌に侵され、死と言ういう獲たいの知らないものが、間違いなく、私の目前に、迫りつつ

あるからなのです。 そのように考えて、私は、やはり、今まで何度もどこかで、引用した、孔子の言葉を、

引かずにはいられません〜。

「未だ生を知らず、いずくんぞ死をしらむや、」


孔子でさえ、人生も死も分からないと突き放しています。私のようなものが、分かるはずないです。 だから、

私は、安心して、分からない、分からないと、繰り返して書き込んでもいいと思っています。、私には人生はわからない

それなら、私は絶望するより他はないのかしら、本当に、絶望するのが自然かも、だが、私は今、毛頭、

絶望しょうとは、思わない〜。たとえば、数学の問題をいくら考えてもわからない、その場合、私は、数学の問題を

投げ出すのか、?、い〜え、投げ出さないで、やっぱり、しつこく生きている限り考えようとするのが、いいのか、

少なくとも、今の私は、後者の考え方を取るでしょう。人生はわからない、だから、私は、でも、考え続けよう、

命ある限り、私は、そのように考える。それに、いくら人生がわからないといって、私の日々にには、いろんな

楽しみや喜びもある、 「わからない」 〜と言って、灰色だけが私の1日の時間を完全に、

塗りつぶしているわけじゃない、美味しいものも、味わえるし、食べれば嬉しい〜、素敵な本に出合えば、

喜びも、楽しみも、今は感じる、菜生や、父の笑顔を見たり、訪れてくれる、友人、親戚、先輩、後輩達の笑顔見れば、

辛くても、嬉しくなります。 人生の意味がわからないということと、生活の折ふしに、さまざまな喜びや、

楽しみがあるということは、私の場合、二つを両立し得る事柄なんだと思います。この二つの事柄が両立できるのは、

もちろんのこと、私が、優れた精神、潔癖、な精神を持つ、人間ではないからなんでしょう〜。私は、凡人、凡弱、な

人間として、、この二つの事柄を両立している、考えてみると、これは恥ずかしい事かも、?、私もそのことに、

気付き始めました。でも、それは私の場合、どうしょうもない事なのです。人生はわからない、とつぶやき、

死の近い私は、同時に、死すまで、美味しいもの口に合ったものを食べる喜びを捨てることは、出来ないでしょう。

愛する、娘、父、家族、親戚、の者たちへ愛情を失いきってしまうことなんて、出来るわけないです。

そして、出来ることなら、分からない人生や、死について、残った時間、いくらかでも自分で納得いくように、

考えてみたい〜、こういう、私の考え方を読まれている、あなたは、承認しては、くれないでしょう。

私は、今、思うがまま書き込んでいます。これを、書いている途中、気だるい時、吐き気をもようする時、さまざまです。

でも、人生も〜誰かが言ったように、「人生は一冊の本みたいなものだ」 最後まで読んでみてから、つまるとか、

つまらないとか、言っても遅くはないと思います。こんな人もいると思っても不思議はないのです。

いいえ〜、途中で投げ出して、これつまらない文章だと、決めてかかるのは、怠慢というのでしょう。人生がどんなに

退屈な本としても、私だったら、最後まで読んでみたい、いいえ〜、最後まで読んで理解したいです。

愛する娘、菜生、そして、その世代の若い子たち、みなさんがたの人生は決して、すべてがすべて、バラ色に輝き、

黄金色に輝いているわけじゃない、それに、これからだって、いやなことは山ほどあります。第一に、あなたがたの

容姿、容色、は、否応なしに、年月とともに衰えていきます。 年を重ねるごとに、皮膚はたるみ、しわも増えてくる、

白髪もめだち、足腰も弱くなる、そのどれもこれも、あなたがたは、人間であるから、どうしょうもないことなのです。

そして、どうしょうもないことは、どんなことしても、どうしょうもないことなのです。 私は、ここで、同語反復の

文章を力強く、キーを叩けました。私は、何度も「ああ〜、もう十年若かったら」 という不可能な仮定を、空想、

また、好んで口にしたこともあります。でも、どんなにしても、二十歳の女にはなり得ない、また、なれない〜、

つまりは、それは、どうしょうもないことなのです。どうしょうもないことは、どうしょうもない、同語を反復するのは、

諦めることじゃないのです。どうしょうもない人生の事実を正直に認め、覚悟をもつことだと感じます。

人生の意味は、わからないと、何度も書き込んだ、また、読まれている、あなたも、多分わからないでしょう〜

だが、もし、人生の意味がわかりもしないのに、あやまって、「人生なんて、結局、こうこうこれなのよ」と言う風に、

もし、あなたが早わかりをしたなら、わからないものを、わかったつもりになることは、建設的ではないです。

それは、もっと、はっきり言うと、自分に向かってウソをつくこと。なんです。最近では、若人たちは、「人生なんて

結局こんなものさ〜」と事もなげに言いたがる、私は、そんな言い方は好きではないです。モーバッサンの

本の中で、いつも、最後の方に、「人生はそれほどいいものではないし、かといって、それほど、わるいものでもない」

つまり、わからないと、どちらでもいいと、私は刻々と迫る死の直前にいる、身体は日々衰弱しているように感じられる

しかし、私には、まだ、本も読める、パソコンのキーも叩ける、食べ物の喜びも味わえる、私にとって、今辛いのは、

肉体の衰弱と、精神の衰弱が歩調を合わせていないことなのです。どうして、人間は精神と肉体が同一歩調で

衰えていかないでしょう〜。悲しい生き物です。でも、女のなんとやらで、かなり前方に死を見つめることはできます。

でも、他方では、生きている間、精一杯生きたいと思います。素敵な本を読み、美しい詩を読み、美しい音楽を

聞いていたい、そして、相変わらず、他方では、「人生とはなんであるか、何であったか、」それを、考えずには

いられない〜、以上のようなことで、私の態度は、未だに決めかねている。私は、間違ってるんでしょうね?。

「光りある内に、歩め」確か、ロシアのトルストイだったと思います。こんな風に言ったのは、 とにかく、私は、

生きていく限り生きていくのでしょうか、生きてる限り、喜びもあり、苦しみもあります。悲しみや嘆きも、あり、

明日と言う日につなぐ希望もある。時間は連続しているのではないでしょぅか、世界の時計が止まって、針が落ちる

なんて、そんなことはない、時計は休むことなく、動いてるのが常識、私は、1日1日じっくりと、ゆっくりと、

味わいながら生きよう〜、残る1日1日を精一杯生きていこう。明日はないかも知れないが、明日があるものとして

生きていこう、実際、普通の人間が本当に、誤魔化さずに「今日限りの命」ということを、自分に対して考えることが

できるのでしょうか、?、結果的には、今日限りの命であるとしても、私達は明日があるものと思い込んで、

生きている、わからないから、どうしょうもない、それでいいでは、ないでしょうか、???、

まだ、思いついたら書き込みます

このHPの秘密とか、隠しファイルは、綾おねえちゃんに、全部、

教えてあります。おねえちゃんは、あとで、プリントしてくれると思います。

今の菜ちゃんには、まだ、難しくて、わかりにくい事書いているかも知れません。

プリントを大事に持って、少し大きくなって、理解できるようになったら、読み直してね。

菜ちゃん〜、パパとママが別れたのは、パパは、何も悪いことしてないのよ、ママの身体が原因なの〜よ。

わかってあげてね。  菜ちゃんを、ママの傍に連れてきたのは、ママが菜ちゃんを必要だったから、菜ちゃんが傍に

いてくれれば、ママ、普通でいられる、頑張れる、そして、菜ちゃんも、小さくて、ママが必要だと思ったんです。

菜ちゃんがパパと別れたくなかったのは、ママよく知っています。本当にごめんなさい〜。

ママは、菜ちゃんに、何か残してあげたかった。何がいいかな〜って、いろいろ考えました。菜ちゃんには、

ママが知っていて、菜ちゃんの知らないことを、ママが書き留めて菜ちゃんだけには、知ってもらいたい。

菜ちゃん〜、ママが、お腹に誕生したとき、ママ直ぐわかった、だって、身体に異変があったんだもの

でも、パパには黙っていて、時期が来て、病院へ行ったら、4週目と言われて、「おめでとうございます。」

ママ、うれしかった。そして、ママは、パパに教えて、パパもそりゃ〜、大喜びで、一緒に北海道の

お爺ちゃん、お婆ちゃんに電話したんですよ。そして、ママはお腹に宿った、菜ちゃんを、じっ〜と待っていました。

体教もしました。10ヶ月、時がみつるのを待っていました。ママのその時の心の視線は、いつも胎内の

菜ちゃんでした。お腹が目立つようになると、菜ちゃんは、何度もママを蹴るんですよ。ママは、自身の胎内に

菜ちゃんに蹴られても、うれしかったです〜。覗き込みながら、想像したり、しているときが、一番幸せでした。

菜ちゃんのお産の時は、ママは初産だったので、6時間も掛りました。看護婦さんが、菜ちゃんを見せてくれた時、

ママは、身が二つになったのです。私の赤ちゃん〜、名前は、パパが付けてくれました。命名(菜生) と、

名前の夕来を教えておきます。本当はヘブライ語なのよ、最初はナオミと付けたかったのです。

意味は、Naomi (見て心地よい、凛として〜)でも、ナオミって、ちょっと、古い感じでしょう〜、 だから、ミを、

外して、ナオって、付けたのよ、今度は、日本人らしく漢字を探して、菜生と名付けました。理解出来ましたか。

ママは、朝となく、昼となく、夜となく、夜中も、菜ちゃんを、愛していました。菜ちゃんが、怪我をすると、

怪我の痛みをママは、空想の中で痛いほど、感じました。  菜ちゃんが、喋れるようになって、少し、

考えられるようになって、ママは、出来る限り教えたつもりです。これを、読んでいるときは、ママは、

もういないのです。これからの菜生の節目の人生に、ママがいてあげられないのが、悲しいです。

あと、何年か経つと、きっと、菜ちゃんにも、彼が出来、ママに紹介するんでしょう〜ね。「私の彼よ」って、

そうなると、菜ちゃんは、楽しいでしょう〜ね。ママがパパと逢った時見たく,恋愛するんでしょう〜ね。

ママは、何度も、こんなことも、あんなことも、想像したり、空想しました。  本当にごめんなさい〜

菜ちゃん、途中で、子育て放棄しちゃって、いけないママね。これから、書くことはちゃんと聞いてください。

菜生がこれから、今後、悩みや、至難が来たとしたら、「しっかりと事実を認め、その中で生きてください」

そして、「自身の失敗を他人のせいにしないでください」 あの子がああしたからこうなったとか、

転んだのは、靴のせいだとか、自分の行為に自分で責任を持とうとしないことは、ママは嫌いです。

言い訳や、口実をいわなきゃ、承知しないのは、感情が大人になってないことです。  、そして、

「全てのことを自分本位に考える人は、ママ嫌いです。」ママは、菜生に「我ままよ」って言わないでしょう。

我ままと言うのは、わが子を叱るときの親の常用語なのよ、菜生は、ママにとって、いい子でした。

この世が全て自分の為に存在している、 たとえば、太陽が毎日東の空から昇るのは自分の為だとか、

電車が毎日、走っているのは自分の為だとか、なんでも、自分本位に考える人は、成長していない、

赤ちゃんです。菜生、家族の中の一人、社会の中の一人、世界の中の一人、大きな、大きな宇宙の

中の一部分なんです。もしも、この世が自分の為だけに存在しているとしたら、他人が菜生にお世辞を言う、

菜生を褒めてくれる、菜生にへつらってくれる、そんなことだと、菜生はいつでも期待するようになります。

そして、お世辞を言わない人は、嫌な人、話のわからない人間だという風に、頭から決めてしまいます。

わかったわね。菜生、

さて、今度は、パパのこと書きます。パパと別れてから、ママは、ときどき、菜ちゃんに、黙って、電話連絡

していました。ごめんなさい〜、菜ちゃんに、なんにも話さなくて、菜ちゃんも寂しかったと思います。

ママは、とても、心細くて、寂しかったです。菜ちゃんにわかって欲しい〜、理解して欲しい〜です。

パパと別れたのは、パパが私達を捨てたのじゃないのよ、ママがパパを捨てたのです。ママが癌になって、

もう、いづれは、治らないと、今は、抗がん剤で保っているけど、何年かで、ママは逝くでしょう。

菜生とママだけのパパだけど、パパには、お仕事があって、ママが闘病生活に入ると、きっと、パパは、お仕事も

辞めて、菜生とママに専念すると思います。いいえ、現実パパも、そう言って、ママを励ましてくれました。

でも、パパには、会社もあって、十数人の社員、パートさん、十数人いて、その人たちの家族を考えると、

とても、パパの側で、闘病することは、ママが、ママ自身許せなかったのです。ママはパパを愛しているから、

パパにも、この世に生まれたからには、人生はあるのです。ママが奪うことは出来ないです。

そこで、ママは決心しました。朽ち果てていく命、一人の男が人生を掛けることないと、だから、ママはいいのです。

菜ちゃんだけには、理解して欲しいです。当時は、パパもお爺ちゃんも大反対でした。ママが説得しました。

だから、もし、誰かと再婚しても、ママは納得しているし、よかった〜〜ね。って、心から思っているし、

幸せになって欲しいと願っています。もしも、再婚したら、パパが選んだ人だもの、最高の女性だと思います。

今度は、その人が菜ちゃんのお母さんになるんです。菜ちゃん、これだけは、わかって欲しい〜〜〜、

今は、どんな人かわからないけど、きっと、素晴らしい人だと思います。仲良くして、パパの言うこと、

新しいお母さんの言うことを聞いて、菜ちゃんが、凛とした女性に成長して欲しい〜〜願っています。
   

ここまで、辿りついた方にお願いがあります。これより先は、戻りがありません。ここは、うさぎの奥座敷です。
隠している、ファィルです。もし、戻るのでしたら、左のブラから戻るか、右上の×で削除してください。

綾ちゃんへ〜
お爺ちゃん
菜生へ〜

ここで、私、冴子は、娘、菜生との一か月余りの不明時期がありました。もう、あなたは理解しているかも知れません。

必要ないかもしれないけど、私なりに、表現させていただきます。


親子の旅情詩


私は、中学生の頃だったと思います。彼女の詩を読んだのは、診察の帰り路、急に脳波を横切りました。

その人は、中条文子、私と、同じ境遇、でも、生き方、考え方、行動は大きく違う、私は、自身で決着を

付けたかった。でも、出来なかった。私の人生のしがらみが許さなかった。私は、北の果てで自問自答しました。



私は、急に中条ふみ子の碑に逢いたくて、家を飛び出して、電車に乗っていました。

初冬の帯広は計り知れなぬ高さで、空は蒼く、渡辺淳一が「冬の花火」の中で、

(悲しくなるほど晴れた空) と表現しています。凛とした冷えた空気は、いっそう頼りなく

自分を不安にさせます。

十勝平野は、さえぎるものが何も無いのです。街の空気は淡々として、冷たさばかり

身に凍みる。この冷たさは、初冬のせいではなく、自分の心の悲しさが錯覚しているのかな、

歌碑に「・・・・・・・・・生きて己の無惨を見むか・・・・・・・・・」

花なら爛漫で天折した、中条ふみ子の、乳房を失った悲しみを、私は、自身と想像して、

己の無惨とは、どこをさしていたのか 問うてみたくて、中条ふみ子の歩いた帯広川や

畜産大学の横道を辿ってみました。すると、自分こそ無惨を引きずって道東の果てを、

さまよっています。

あのときは、東千代田の自宅には、戻らず、ここで、終末と、菜生の不安そうな笑顔を見ると、

私は、躊躇しました。もし、許されるなら、答えを拾って帰りたい〜・・・・・・・・・

標茶町の駅に下り立ったのは、夜の九時過ぎ、地方駅のにぶい灯りに浮かぶ、自身の影が

黙って家を出たことを、悔やんで見えます。

世間の風評に忠実に生きて、びくびく平穏に暮らしているより、自ら火の中に飛び込んで、

傷を負う生き方は、間違いなのでしょうか。

菜生が、精神的に疲れた、私の悲鳴を、どう捉えるのか、私の後姿を避けて通るか、

轍を踏むか、菜生の判断に任せたいです。

中条ふみ子の歌集のあとがきに、 

 「生きている中に自分の像を建てる用心深さは、愚かなことかもしれない」 と自問しています。

死に近かきわれに不変の愛誓ふ鎮魂歌ははやくもひびきけり     ガンと知っていた、

中条ふみ子にとって、歌集は華やかにも残酷に死期を強調したのでしょう〜。

別海はどこまでもつづく、原野で牛と人間だけが、ゆっくりと時間を噛んでいます。

慌しい、世情と、自身の身勝手さに振り回されている自分が可笑しいです。

明日は、このまま、「狩野十号」で、ここを発ち、京都へ行くことを、思い立ちました。

雪の北空港から逃げるように南下してきました。京都の醍醐寺の近くに宿をとっています。

醍醐山の全部が寺の領域という巨利で、三宝院以外は、内部は非公開です。

狩野派の襖絵や秀吉が設計したという庭園など、春のやわらかい陽の中で見て歩いています。

千年も昔の都のさんざめきが聞こえてきそうな気がしてきました。

寒梅の紅が魅せはじめ、梅がほんのり匂っていて、昨日までの雪の暮らしが、嘘のようです。

雪雲の暗い重さが、私を悲愴に押し込めていたのか、暖かい京都に来ると、淡雪のように、

消えて何も無いのです。縛られていたと思った糸は、自分の中に巣くう論理であって、

もがいていたのは、妄想のひとり相撲でした。論理の尺度はその時代の超勢によって、

変わっていくことを知りました。両親から教えられた「常識」からゆるゆると抜け出したいです。

多様化の時代ですから、女の生き方も変わってもよいのではないかと思います。

これから、新幹線「ひかり五号」で岡山に行きます〜。

日本三大公園のひとつ 「後楽園」を右手に見ながら、蓮菜橋を渡ると突き当たりが、

夢二郷土美術館です。宵待ち草の哀調がバックボーン代わりに低く流れています。

夢二の放浪とロマンの五十年の生涯は、孤独と哀愁の美を追求しつづけ、想像に命を

燃焼させ、足跡をつぶさに見せています。

自由弄放な夢二の歴史を追っていくと、昭和四十一年、夢二美術館を西大寺に開設とあります。

「西大寺」 は記憶を辿ってみると、川柳作家、あの有名な寺尾俊平先生の御住所なのです。

日本川柳大会札幌会場でお会いして、その後、句集、「葦川」を読みました。

その中でも、「広重の空の青さだ放浪だ」 寺尾俊平

川柳に触れ、夢二に魅かれて、静岡から放浪の果ての先が、寺尾俊平先生のお近くとは、

なにか、通俗性の中に人生の哀歓をうたったユニークな夢二の芸術は、川柳にも通じる

ものを感じました。逃げることばかりを考えていたのに、目の前に川柳を突きつけられたようで、

因縁浅からぬ糸に引かれて、おずおず帰路に着こうと思います。

すんなり帰るには惜しい日和なので、姫路城へ寄ってみました。日本城郭最盛期の別名、

白鷺城は端麗な容姿で向えていました。ここは、NHKの川柳選者、森中恵美子先生の

お近くです。ここで、先生の句を一句、

「いい友を沢山もって茶がうまい」    人の句を見てから、自分にも作れると言う、

コロンブスの卵は誰でもが抱いています。 平素の暮らしに目が止まる感性こそ磨かれた

才能だと思います。たかだか、一人の命、この世の社会から見れば、ほ〜んの欠片

この広い、宇宙か見れば、見えない〜人とは悲しいものです。

川柳も、三年や五年で、壁だと未熟を棚上げしての

怠慢さが怒られそうです。遠く逃れてきた行く先々に、川柳に囲む人の居る方に足が

向いてしまうのは、潜在意識の中に川柳を追っている自分の姿が見えるようです。

私の後には、死んだ夢があります。砕け枯れた希望の残骸が散乱しています。

跳べると錯覚した愚かさが吊るされています。何もかも、中途半端な物ばかりですが、

川柳だけは続きそうな楽しさがあります。死ぬまでの道連れができたような、重荷を負わされた

ような複雑な気持ちですが、又一歩、あなたの居る静岡へ向かう足が軽くなりました。

怒溝渦まく冬の日本海をあとにして、早や1ヵ月が経ちました。

自宅に辿りつくと、あなたは、娘と私に「楽しかったか」と言いました。  あなたは、なにもかも、

お見通しだったのでしょうか ?、私自身が自身の潔癖ゆえに許せなかったことを恥じています。

それからは、あなたも知っている、病とあなたの人生、私の人生、菜生の人生の闘いでした。

すべての結論は私が出しました。後悔は何度もしました。本当にごめんなさい〜

あなたには、詫びようにも、お詫びの方法が見つかりません。どうしても、論理が先に進み、

立ち止まることは出来ませんでした。わたしは、これから来ると思う苦行でお返しします。

父は、きっと、いつまでも、あなたを娘の夫と思うと思います。私も心では、いつまでもあなたの妻です。

これが、冴子は、中条文子との違いです。

菜生、ママです〜。これは、ママが書き込んでいるのよ

菜ちゃんが、見ているとしたら、きっと、横には、綾お姉ちゃんが

来ているのね。お姉ちゃんにお茶を出して挙げるんですよ〜

菜ちゃん〜、約束守れなくてごめんなさい〜、

菜ちゃんのこれからは、パパとお爺ちゃんが相談して、

これからの生活も学校も大丈夫、安心して〜ね。

ちゃんとしてくれます。だからね心配しないで、↓にも、

書き込んでおきます

うさぎの10年ほど前の写真です
現在の写真はダメです。

今日は3月1日です〜、菜生、菜ちゃんは、今、学校へ行っています。ママは、この部屋で、

一人でいます。加減は、チョツト良くないけど、少しずつ、キーを叩いています。これから、

菜ちゃんは、どんなことを、感じ、どんな青春を味わい、どんな人生を過ごすんでしょう。

菜生、菜生は、ママのすべてなの〜、小学2年生で、分かる常識や知識は、ママが、

教育したつもりです。本当は、もっと、もっと、菜生の側にいて、菜生を眺めていたいです。

菜生が学校であったことも、ママに話してくれる、ママはそれを聞くの〜、

とても、楽しかったです〜。もう、ママが聞いてあげられないのが、ママは悲しいです。

逝くのが悲しいのではないです〜よ。聞いてあげられないのが悲しいんです。

だから、ママの富士通のパソコンを見て、読んで、ママは、一杯書き込んでいます。それが、ママの証です。

菜生の今後の羅針盤なのです。ママのものは、全部あなたにあげます。本も、服も、パソコンも、

全部、あなたのものです〜。早く大きくなって、お勉強して、ママの書き込んだ事を理解してください。

一生懸命、勉強しないと、その年代事で開くファイルは理解出来ないですよ。

きっと、菜ちゃんなら、わかってくれるわね、菜生は、人の痛みをわかる良い子だもの、

それは、ママ一番知っています。そして、ママが逝ったら、あなたは、あなた自身の判断で決めるのです。

北海道にいるもよし、パパのいる静岡に、行くのもよし、もし、静岡にいっても、お爺ちゃんは、

何処へ行っても、あなたのお爺ちゃんです。あなたが、北海道にいても、あなたのパパは、あなたの

パパです。ただ、何処へいっても、富士通のパソコンだけは、菜生と一緒に持っていってほしい〜、

今日も、何か、書き込んで置きましょうか。菜生も、女だし、綾ちゃんも女ね、読んで見て



冴子は、菜生が生まれた時、戸惑ったのよ、それは、自己愛に、菜生がお腹の中にいるときは、

ママ自身を大事にすることで、自己愛は完結できるんです。菜生を産んだとたん、自己愛は、

二つになったのよ、お腹にいるときは、ママのナルシシズムは、分けることなかったのよ。

でも、産んでから、今も違う、   ママが自分自身をいたわり、愛することは、、自己愛は完結出来ない、

菜生を愛すれば、愛するほど、一切を捧げれば、捧げるほど、自分自身をおルスにしてしまう。

ママのナルシシズムは、対象が二人になったのです。ママが自己愛を向けるべき対象が、

自分と菜生ということは、純粋の自己愛ではなかった。ママの自己愛は根底からグラつきました。

動揺もしました。母親になるってことは、こんなに悲しい事を経験しなきゃなんないとは、綾ちゃん、覚えといて、

菜生を愛することは、帰すところ、ママが自分自身を愛することだって、言っても、言えなくもないです。

でも、現実には、菜生とママは、二人の別々の人間として、そこに、向かい合っているのです。 ママは、

ママが産んだ菜生がそこに、自分とは別の人間として存在していることに、ある日、堪えがたい、

悲しみ、感じたことありました。本当に理不尽だと思ってました。

「あぁ、もう、一度、菜生をこのお腹の中へ呼び戻したい」 と、ごめんなさい〜菜生を愛するが故でした、

ママのものであって、ママのものでないあなた、これは、私の心に言うに言われない、もどかしさと、

悲しみをママは、感じました。  ママは、愛する菜生を、、心理的に離乳できなかった。

突き放すことはできなかった。心理的に菜生を突き離す事が出来ないと言うことは、  菜生の

幸、不幸が、そのままママにも、帰ってくるし、菜生にも巡っていくかも知れません。ごめんなさい。

菜生が怪我をすれば、ママは、空想の中でその痛みを味わいました。ママの心は、菜生によって、

右にも、左にも、上にも、下にも、動揺して、毎日がハラハラでした。

綾ちゃん、人間って、自分自身でも持て余しているのに、そして、自分をままならないことを嘆くのに、

母親は、自身の他に、もう、一人の自分(わが子)をかかえるのです。 その時が来ると、

やるせないもどかしさ、どうしょうもないはがゆさ、それが、これからの綾ちゃん、 母になるとは、

こんな悲しさもあるんですよ。  綾ちゃん、今度も冴子、答えを出しているでしょう。

冴子の文章も少しは、変わってきたのよ。死を目前にして、どっちつかずの文章は、いけないと、

女は、本当に悲しい生き物なのよ〜、、

今日は、2月23日、今日はちょっと、時間が空きました。菜生、また、ママは、このページにきて、

書き込みしています。菜生、大きくなって、寂しくなったら、ここを、コピーしたところ読み直して、

そこには、いつも、ママは居ます。さっきまで、ママ、泣いていた、涙を溜めて、でも、悲しくて、

泣いていたんじゃないよ。思いに耽って、思い出に酔って、懐かしく涙が出てしまいました。

今日は、涙のことを、面白く書き込んでみましょうか。

眼の中にゴミが入ると、菜生も自然に涙がいっぱい溜まるでしょう。涙が溜まって、溢れ流れると、ゴミも

一緒に涙と流されるでしょ〜、つまり、ママみたく涙を流すということは、涙と一緒に、心の中の悲しみ、

苦しみのゴミを、流し去ることなの〜ね。心の中を洗濯して、ゴミを流すことなのよ。もし、涙を流せなかったら、

みんな、どうなるんだろう〜、人は、みんないつまでも、心の中に、悲しみのゴミを、少しずつ積み重ねて

いっぱいになっちゃう〜。だから、泣くって、弱い事じゃないのよ〜、そう、涙って、不思議なのです。

ママは、〜ね、わかるかな〜、大きくなったらわかるよ〜ね。

ゴミが入ったから、涙腺から涙が流れてくるけど、何でもない、ほんのちょっとした、ゴミのために、

ママは、涙を流しているうちに、そのゴミが膨れて、とてつもなく大きなゴミのように、最近は感じるのです。

極端に書き込めば、涙を流しているうちに、まるで、大きなゴミが眼の中にあるように感じます。

ゴミが涙を流しているのじゃなく、 涙がゴミを心の中に作り上げているの〜ね。 いけないママね。

ママは、今では思い出だけで、生きているのよ。これは、大きくなったら、ママの言うことがわかると思います。

こういう、涙の創作的な作用を、活発に出来るのは、女の私達が、きっと、男の人たちり、優れているのよ。

菜生、女には、涙は最後の武器なのよ。自衛戦力なんです、だからと言って、頻繁に使うと、威力が

半減、効果がなくなるのです。菜生もこれから、大変だと思います。泣きたいとき涙を流しなさい。

しかし、その涙に、菜生自身がおぼれることがない程度、また、聞き分けのない子供のように、

ただ、いつまでも泣いて見せるのは、感心しないです。せっかくの武器も下手に使うと効果がないのよ。

パパは〜ね、ず〜〜っと、昔、ママにこんなこと言ったのよ、

「ママの涙顔の中から、微笑みかける、ママの顔、パパには、魅力的だよ」、うふっふっふっ、

ママは、勝手に解釈しました。夕方、パラパラ小雨が降って、そのあと、夕陽の光を見るのは綺麗だって、

菜生、大きくなったら、こんな恋愛するのよ。そして、パパは、本当に素敵な人で、優しいのよ。

また、今度、時間空いたら、書きます、まだまだ、続きます。







今日は何を書こうかしら〜、菜生、ママは不幸なんて思ってないです。綾ちゃんも読んで見て、

こんな事になって、ママは、不幸なんて思ったこともない、逆に、こんな病気になって、家族、親戚、

綾ちゃん、知人、みんなの本音が知ること出来ました。この病気ならなかったら、知ること出来ませんでした。

だから、不幸を避けて通ろうなんて、今では考えていません。そして、よっちゃん〜、あなたも読んで見て、

あなたは、一番最初に、ウェブで冴子を見つけた人です。冴子は、何処の誰かも、知らない人だけど、

きっと、優しくて〜、いいひとなんでしょう〜、そして、冴子は、あなたに、背負わなくても、いいのに、

重い、十字架を背負わしたような気持ちです。本当に申し訳ないと思っています。

また、一般論で書き込んでいくから、菜生は、大きくなったら読み返してね。人間は〜ね、自分自身に

ついて、偏見をもちやすいものなよ、自分は、この上なく不幸だとか、自分はいつも上手くいく、

それらは、みんな偏見だといえると思う。もし、不幸になりたくないなら、自分自身をこれこれ、しかじかの

女だと、決めてかからないこと〜ね。たとえば、自分はやきもち焼きと決めてかかると、また、

やきもち焼きにならざるだろうし、やきもち焼きになれば、必ず不幸になります。それも、愛するが故の

ことだと思います。偏見なしに自身を見つめなおしてごらん、過去の生活を振り返ってごらん〜

自分の中に悪い点があったとしたら、それを、認めることから始めてごらん。

「私は昔からこういう女だった」 と、ひねくれて自分を眺めないのです。

悪い点を見つけ出したら、いくらかでも治るものなら、治すのです〜。悪い点を「どうせ」という文句を

つけて、そのまま自身で認めるより、いくらかでも悪い点を治した自分を認めるのが幸せの

生き方なのです。その方が、きっと幸せになる道なのです。たとえば、私はどうせ英語なんか出来ない

と、頭ごなしに、決めてかかるより、でも、私は( I LOVE YOU )という英語だけは知っている。

と認める方が幸せでないでしょうか。自身を見限ってしまって、どうして、幸せになれるのでしょう。

どんな場合も、自身を見限ってしまっては、いけないのです。

また、自身の中に何か悪い点、自身でも気に入らない点があった場合、それを他人のせいにしないことです。

(私がこうなったのあの人のせいだ)と、他人に自身の欠点の原因を転換してみたところで、どうなるものでも

ないのです。(私をこんな女誰がした)と、叫んでみても、どうにもならないのです。

他人のせいにして、自分を自分で弁明したところで、自己満足で、今、自分が見つめている、自分の欠点や

短所が、少しでも良くなる訳ないのですから、例えば、私の手に、こんな大やけどをさせたのは、この、

おヤカンのせいと言っても、火傷が少しでも、良くなりますか。火傷は火傷として、

正直に認めより他はないのです。 菜生、綾ちゃん、よっちゃん、自分の中にどこか良いところがあったら、

その美点や長所を自分で褒めるんですよ。 世間の人が誰も褒めてくれない場合は、自分で自分を

褒めるんです。冴子は、そう思いますよ。 もしも、ここまで、辿りついた人が、あなたの容姿が、

それほど、ステキでなくても、もし、あなたが色つやのいいなめらかな皮膚の持ち主なら、その

なめらかな肌を褒めるのです。「私の肌はこんなにきれいだ〜」これを冴子は、自分で自分を褒める

技術と呼びます。自分をなだめかす技術、これをどうか、みなさん〜身につけてください。

「自分は何から何までダメな人間」と言い聞かせると、あなたは、幸せになるんでしょうか。

それどころか、ますます坂を下るように、ダメな人間になっていくんですよ、早く気付いて〜、

このような言い方は、冴子は、「不幸のうわ塗りと言うのです」そういうことをするのは、利口なやりかた

ではないです。それは、はかない、 墓無い  おろかなことなんです。

そして、この場合、決して、自分を他人と比べたり、他人のことを引き合いにだしたりすることは、

いけないことなのです。 「私の肌はあの人より数倍きれい〜だ」と言っては、いけないんです。

「私の肌はこんなにきれい〜」こう言って、自分だけで自分を褒めて、楽しめばそれでいいんですよ。

どうして、自分を他人と較べる必要があるのですか。  それは、嫉妬心なんです。

このさい、嫉妬心も書き込んでおきます。人間には、男も女も必ず嫉妬心があります。

「私はあの人にかなわない、口惜しい〜」と、歯ぎしりすることも、ここを訪れた人は、あったでしょう。

もし、冴子がこの下手な文章を、もっと、上手な、表現の上手い文章と較べてみて「悔しい〜」と、

考えたとしたら、冴子は、これ以上、一字も書けません。冴子は、冴子、あの人は、あの人、

こう考えるしかないでしょう。また、こう考えれば、楽になるでしょう。

嫉妬心とは、他人の幸せをうらやむことではないのです。「私もあの人のように、なれたらどんなに、

ステキなんだろう、」と考えるのでなく、自分よりはるかに幸せそうに見えるあの人が、自分と同じように

不幸せになったら、私は、さぞかしせいせいするでしょう。それが、冴子の言う嫉妬心なのです。

嫉妬心は、

第一に、  他人の不幸を喜ぶことです。

第二に、  他人も自分と同じように不幸になれば、それで気が済むということなのです。

他人の幸せの中に、自分の不幸せを見つけ出し、他人の不幸の中に、喜びや幸せを感じる、

それが、冴子の言う、嫉妬心なんです。このような心を持っている人に、どうして、幸せがくるのでしょう。

嫉妬は、確実に自分を不幸にします。昔から、女の人は、男の人より嫉妬深いと言われてきました。

女が男の支配の下に置かれていた場合、女同志は、互いに嫉妬し合うことによって、自分を主張、

しょうとしてきたのです。そのような時代は、現在は去りつつあるのです。ちいさな世界で、自分と

他の女たちとの間の優秀差を争いたがる、こういうことは、きっと、あなたを不幸にします。


冴子は、まだ書く予定です。命が続く限り書き込んでいきます。